コンビニで雑誌をめくっていたら「ん!? なかなか良い感じじゃん!!」と見つけたのがこの写真の松阪・御城番屋敷。 何でも松阪城警護の為の紀州藩藩士が住んでいた武家屋敷跡ということなのですが・・・。
行ってきました。近鉄特急に乗って大阪から奈良を超えて三重県まで。
この御城番屋敷、まだその紀州藩藩士の子孫の方達が住まわれている、管理されているということで、正直驚いてしまいました。
だってそうでしょう、日本全国、武家屋敷跡って結構ありますけれど、ただ建物が建っているだけで、そこに住まわれていることもほとんど無いのに、しかも子孫が住んでいるというのですから。 もしかしたらある種、時間が止まっているのかも知れません、この町。
それと・・・「紀州藩藩士」って書いたのですが、引っかかりました? スルーしてしまいました?? 私は引っかかりました。なぜ「紀州藩??」。「何か関係あるの??」・・・。
でも私の認識が間違っていた、ただそれだけのことでした。紀州=和歌山という私の思い込み。 そう、ここ松阪は、あの徳川吉宗の出所である紀州藩の領地だったのです。
紀州藩、さすが徳川御三家、領地が広い!! 今の都道府県なんかあっという間に飛び越えて
しまうのですから。この年になっても知らないこと、多いですね。
いや~~、反省です、ハイ!。